豊橋鉄道100年史 1924-2024
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74オープンで賑わうエモア1階ファッションフロア上質のビジネスタイプとして設定した豊鉄ターミナルホテル伊良湖から茶臼山まで 120km広域観光圏構想ル建設準備委員会を設置し、昭和61年より計画の立案に着手した。駅前広場に面する間口が狭いことから、隣接する地元2社との共同建設とし、昭和63年9月に完成。同年10月5日に「豊鉄ターミナルビル」の名でオープンした。鉄骨鉄筋コンクリート造9階建て一部5階建て、最高の高さは36mで、当時の豊橋駅前周辺では最も高いビルとなった。下層階は「エモア」と名付けた商業ゾーンで、旅行センターのほかファッション店舗やレストラン、美容室などが入店した。5~9階は、当社グループ経営の「豊鉄ターミナルホテル」として開業した。客室数123室、収容人員148人のビジネスタイプで、広めの客室と豊橋駅前至近の好立地から、ビジネス客を中心に利用が増えていった。また、9階のスカイラウンジ「オーロラ」では豊橋の夜景を楽しむことができた。同ホテルは、平成5年12月22日に政府が定める国際観光ホテルに登録された。同年4月の国際観光ホテル整備法の一部改正を受けて、客室内の改良や、従業員の外客接遇講習受講などを進めた結果であった。昭和62年6月、総合保養地域整備法(リゾート法)の交付施行を契機に、全国の観光地がリゾート開発ブームに沸いた。リゾート法では、税や融資、環境整備面で大きな優遇があった。そのため東三河地方でも渥美地区リゾート開発構想、田原海岸総合整備計画、豊橋表浜整備計画、ほうらいハイテク村構想、蒲郡の海の軽井沢構想、ポートルネッサンス計画などのリゾート開発計画がめじろ押しとなり、愛知県も昭和64年度のリゾート法適用を目指し

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