59蒲郡にあった関連会社のときわタクシーも統合して豊鉄タクシーとなった統合した豊鉄タクシー本社新豊橋駅前の豊鉄商事観光部は豊鉄観光サービスに名称変更した(昭和62年撮影)関連会社の事業展開た「ほうらいじ豊鉄食堂」を開業した。その後、県道鳳来・設楽線の移設工事に伴い、建物東側に旧駅の面影を採り入れた純日本風の建物を新築移転するとともに、名称を「豊鉄ほうらいじ食堂」に改め、昭和52年3月18日新装オープンした。奥三河の山菜料理のほか、名物の五平餅は特に好評だった。この頃、当社は、多くの企業を傘下に置き、豊鉄グループを形成し始めた。さらに、時代の変化と事業の進展に応じて業態を変えていった。昭和50年10月1日、東三河地区でタクシーを運営する名鉄・豊鉄グループ5社は、豊橋交通㈱を母体としてタクシー事業を統合し、豊鉄タクシー㈱を発足した。これにより、営業区域拡大と車両の効率運用を進め、本社を福江から豊橋へ移した。同年10月13日には、当社車両の自動車整備で蓄積してきた技術を活かして事業化するため、当社草間工場と豊鉄商事㈱湊町工場を統合して、豊鉄自動車整備㈱を設立した。昭和56年には、手狭となった湊町工場を新設の瓜郷工場へ移して事業拡大を目指した。昭和53年9月8日、当社鉄軌道諸施設の保守管理を基盤に、建設事業へ進出するため豊鉄施設工業㈱を設立。その後、建設需要の増加から総合建設業を目指して、昭和61年7月1日、社名を豊鉄建設㈱に変更した。昭和55年7月28日、豊鉄商事㈱は、一般旅行業を取り扱うにあたり、旅行専業会社として豊鉄観光サービス㈱に改称した。同年8月1日には、同社の不動産・広告・レンタカー各事業は、業務拡張を図るため豊鉄商事㈱の名称を引き継ぎ分社した。
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