豊橋鉄道100年史 1924-2024
58/202

58ほうらいじ豊鉄食堂では当時五平餅を50円で販売していた(昭和44年)多彩なレジャー観光事業昭和60年10月3日にオープンした。同施設には衣料品店など5店舗が入居。大型化を目指してリフレッシュしたミスタードーナツ店舗と並び、南栄駅前一帯は賑やかさが増した。レジャーの大衆社会化が顕著となった昭和40年代、当社はこれに事業多角化で対応した。昭和41年10月、浜岡線快速バス運行に連動して、浜名湖瀬戸のみかん狩りへ、臨時バス運行や乗車券付クーポンを発売して観光誘致を始めた。同時に同年開園の蔵王山観光みかん園のクーポンも設定した。昭和53年からは、奥浜名湖観光㈱が設けた三ヶ日釣みかん園や、同社が受託していた名鉄瀬戸みかん園(浜名湖瀬戸)の運営も当社が請け負うこととなった。その後、昭和57年には奥浜名湖興業㈱(昭和56年設立)を系列下として、みかん園の運営に専念した。昭和42年3月1日には、当社直営の新城自動車練習所を開所した。教習科目は普通自動車と軽自動車で、自動車の普及から練習生は社内中心から一般客も対象とした。レジャーの分野では、昭和43年3月、豊橋に16レーンのボウリング場がオープン。運営する㈱向山ボウリングに、当社は資本参加する形で参画した。開業以来、連日大盛況により翌年には30レーンに増設した。また、ファミリースポーツとして需要が伸びていたアーチェリーにも着目した。まずは昭和47年4月、豊鉄伊良湖サービスセンターに5レーンのアーチェリーレンジを開設。1年後の昭和48年4月にも、赤岩口停留場前の遊休地を活用し、6レーンの豊鉄赤岩ターゲットアーチェリーを開設した。昭和44年1月10日に天竜奥三河が国定公園に指定されたため、当地域は脚光を浴びるようになった。そこで当社は同年10月10日、旧田口線鳳来寺駅舎の内部を改造し

元のページ  ../index.html#58

このブックを見る