豊橋鉄道100年史 1924-2024
52/202

52 ●補助制度の転換と市町村営バス移行雪道を走る山間路線バス津具車庫緊急な措置を要する17路線が過疎路線Aに採択された。これにより、新野線・根羽線など8路線の休廃止が決定した。愛知県1/3・町村1/3の補助を受けて営業する路線は6路線であった。昭和48年に開催された第2次対策協議会では、長江線・山吉田線など4路線の休廃止が決定した。補助を受けて営業する路線は10路線で、補助率は従来どおりであった。昭和59年4月11日には、昭和48年以来、11年ぶりの第3次愛知県過疎バス路線対策協議会が開催された。会議では、利用度が少ない宮崎線(石原-くらがり渓谷)、三都橋線(鳴沢橋-守義)ほかの休廃止が決定した。また、残る路線のうち豊橋田口線を除くすべてについて、赤字補填の補助が行われることになった。しかし、この決定は昭和60年3月までの1年間限定とされた。これはそれまでの間に、山間地域のバス路線のあり方について、市町村などの関係者で抜本的かつ恒常的な打開策を策定し、翌年4月から実施することが決定したためである。第3次対策協議会から1年後の昭和60年4月1日より、当社のバス路線があった鳳来町、作手村、豊根村で、町村営バスが運行を開始した。また同年に実施された第4次対策協議会では、4月1日からの新城田峰線全線と、田口豊根線(金越-川宇連)ほか7路線の一部区間の休廃止が決定した。なお、昭和60年度からは従来の補助制度のほか、国などによる地方バス維持要項による補助が適用されることとなった。平均乗車密度が5人以上15人以下の路線で、1日の運行回数が10回以下の路線のうち、県が県民の生活に欠かせない路線と認めた路線(第2種生活路線)に適用されることとなったのである。しかし、乗車密度5人未満の路線で、住民にとって必

元のページ  ../index.html#52

このブックを見る