豊橋鉄道100年史 1924-2024
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49昭和50年代の豊橋営業所豊橋バスターミナル1番のりば(昭和54年)豊橋バスターミナルの開業同営業所の完成とともに集中管理方式を採用し、大幅な営業所担当路線の再編成を実施している。これにより、豊橋駅前・南栄・東田・井原各自動車区を廃止した。移転と同時にダイヤ改正も実施した。豊橋駅前―植田間では6つの系統を新設し、小浜線や南部循環線などを組み込んだ。また、昭和52年5月には、各営業区に配置の貸切車両を同営業所へ集約統合した。福江営業所は、渥美半島の観光開発に対応する交通拠点として、渥美町保美に新築移転した。手狭な旧営業所に代わって鉄筋コンクリート造り3階建てとなり、昭和44年7月1日より営業を開始した。同年には田口営業所も完成し、9月1日に竣工式を挙行。木造2階建ての建物は、旧田口線の田口乗務区を移築した。新城営業所では、建設用地の確保が数年来の懸案であったが昭和47年までに8,000㎡を買収し、南北設を望む北部方面の拠点として、昭和48年6月22日に鉄骨造り2階建ての北自動車営業所新城営業区が完成した。豊川営業区も、老朽化や狭さが問題となっていたため増改築を進め、昭和49年5月に鉄骨造り2階建ての建物が完成した。豊橋駅前の交通緩和と利便性向上のため、豊橋市をはじめ当社と、名古屋鉄道㈱、遠州鉄道㈱、名豊ビル㈱の官民一体により、駅前大通にバスターミナルの建設計画を進めた。昭和44年2月1日に㈱豊橋バスターミナルの創立総会が開催され、社長には当社の会長である馬場惟保が就任した。同社は、豊橋市が狭間公園の地下に建設する、建築面積3,565㎡、鉄骨・鉄筋コンクリート造り地下1階、バスのりば5バースのターミナルを運営管理することとなっ

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