豊橋鉄道100年史 1924-2024
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4 バスの営業強化と合理化48田口線の廃止により同区間はバス運行となった前面に大きなワンマン表示器を取り付けた967号バスワンマン化の主な推移(路線別実施日)年月日路線名S40.1.1市内循環線S40.5.20牟呂循環線S40.6.20豊橋競輪場線S43.3.21豊川線S43.12.20大崎線田口豊根線S45.6.21新豊線S45.9.20富岡線名倉澄川線S45.12.31蒲郡競艇(特定)S50.8.16本郷浦川線S46.3.1伊良湖本線(特急)伊良湖本線(準急)金沢線西浦線田口豊橋線S47.4.1豊川市内線S47.4.25伊良湖支線S47.8.11東栄線S48.7.1宮崎線S46.8.28S47.1.20年月日路線名S48.8.10奥浜名湖線本郷豊根線御園線田口本郷線S49.10.10S50.7.9浜名湖競艇(特定)S50.8.16鳳来寺線(大和田)市川線吉川中宇利線S50.11.1S51.4.2御津線S51.4.6浜道線S51.4.11三都橋線S51.6.16作手線鳳来寺線(湯谷)バス全線ワンマン化バス営業所の新築移転統合得た。労働組合との間でも同年3月に同意書が提出され、ようやく田口線の営業廃止が許可されたのである。バス化を申し入れて以来、3年10カ月を費やしての廃止決定であった。かくして昭和43年8月31日、田口線は40年にわたる歴史に終止符を打ち、同年9月1日からバスの運行を開始した。昭和40(1965)年1月1日、深刻な車掌不足解消と業務合理化のため、均一運賃の市内循環線に当社初となる前乗り・前払い方式でワンマンバスの運行を開始した。ワンマン化は、同年5月に牟呂循環線、6月には豊橋競輪場線と続き、昭和43年3月からは多区間運賃の豊川線でも実施するなど、徐々に導入路線を拡大していった。狭あい道路を通る路線でのワンマン化は、昭和48年2月、宮崎線で後方確認装置(バックテレビ)を試験装着することで道筋をつけた。7月に同線をワンマン化した後、山間各路線でこれを採用した。そして昭和51年6月に作手線、鳳来寺線(湯谷系統)での採用をもって、乗合バスのワンマン化100%が実現した。昭和40年代には、老朽化したバス営業所の新築や移転が相次いだ。豊橋では、街の発展とともに増加する流動人口に対応するため昭和42年3月14日、豊橋市植田町字新津田地内に鉄筋コンクリート造り4階建ての豊橋営業所を建設した。

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