豊橋鉄道100年史 1924-2024
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2 市内線の路線縮小と延伸45衝突事故が発生した老津駅構内貨物線市民病院前停留場の3802号(昭和48年)駅前-市民病院前間と柳生橋支線の廃止認の欠如であった。直ちに事故の全容を解明するとともに安全対策を協議した。喫緊の対策として、原因となった老津駅構内の手動式2号ポイントを連動式に改めることや、三河田原・高師両駅の手動式ポイントも早急に連動式とすること、計画中だった高師-三河田原間単線の自動閉そく装置を繰り上げて完成することなどを決定した。また、多くの人命を預かる鉄道従業員としての自覚と、業務に対する熱意を従業員に促すとともに、規律を正すため、運転関係従業員に個人指導を行うこととした。さらに、毎月17日を「確認の日」と定め、全職場での安全確認を徹底して、事故防止に取り組んだ。駅前-市民病院前間は、国鉄豊橋駅の改築工事に伴って、駅前付近に交通が集中し混乱するという理由により、豊橋市からの要請で昭和44(1969)年5月15日に運転を休止した。同時に駅前停留場の位置を60m新川方に移設し折返し運転をした。豊橋駅改築完了後の昭和47年8月30日、さらに駅前の交通混雑緩和対策のため、休止中の駅前-市民病院前間の廃止が要請された。これを受けて当社は検討の結果、廃止を決定し昭和48年3月24日に同区間営業廃止許可を受け、3月31日深夜に撤去式を行った。一方、開業当初からの路線である柳生橋支線は、利用者減少の一途をたどっていた。昭和50年の時点で、1日の利用客370人、1車平均2.9人という赤字線区となっていた。もはや営業継続が困難なため、廃止を決断したのである。

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