豊橋鉄道100年史 1924-2024
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44無人化当時の植田変電所自動化された柳生橋1号踏切渥美線地下化工事により愛知大学構内の仮線を走る1901号(昭和61年)老津駅列車事故から安全対策の徹底へ軽減を図るため、昭和44年2月から継続的に30kgレールを40㎏(1m当たりの重さ)に更こう換かんすることを決めた。これにより、騒音の低減や乗心地の向上につながった。電気関係では、車両の大型化等による電力使用量の増加のため、植田変電所の容量不足や新豊橋-大学前間の電圧降下が顕著になったことから、その改善策として昭和45年12月に柳生橋変電所を新設した。また昭和58年10月には、高師駅での集中監視による遠隔制御が可能になったため、全変電所を無人化した。運転時分の短縮は、小池・老津両駅を同時進入可能とすることにより、対向列車の待ち時分を減少させることを決定した。このための信号設備改良工事を行い、昭和55年2月1日のダイヤ改正から実施した。踏切関係では、事故防止のため格上げと統廃合を進めるとともに、昭和30年代から安全性向上と人件費節減の観点から踏切警手を廃止して、警報機や自動遮断機を設置し始めた。最後まで残った柳生橋1号踏切(柳生橋駅横)も昭和47年6月1日に自動化した。踏切廃止の大きな工事としては、小池-大学前間の小池バイパス(国道259号)交差部の立体交差化が挙げられる。これに伴って、渥美線では初めての隧道が新設されることとなった。隧道の建設位置が線路の直下になるため、渥美線は一時的に愛知大学構内へ迂回させた後に隧道を建設して、昭和61年11月27日に立体交差が完成した。昭和43年8月26日の午後7時半頃、新豊橋発三河田原行き下り電車(2両編成)が老津駅構内で貨物線に誤侵入し、留置貨車と激突する事故が発生した。この事故で62名が重軽傷を負い、当社の責任事故としては過去最大となった。事故の直接的な原因は、ポイント操作の誤りと安全確

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