40南栄駅前で展示販売する豊鉄スバル自動車宅地開発と新規事業への進出加速昭和30年代の初め頃、政府は住宅対策を進めていたが、住宅難の解消にはほど遠かった。この状況のなかで、当社は昭和31年末、渥美線沿線人口の増加と増収を目的とする土地住宅分譲事業に着手したのである。まず、豊橋市大清水町に16戸を建設し、昭和33年2月23日までに分譲を終了した。その後、豊橋市植田町に約2万8,244㎡の土地を買収し、「向ヶ丘団地」と名付けて宅地造成工事を進め、昭和33年度~35年度にそれぞれ30戸を分譲した。さらに昭和35年下期には、豊橋市西高師町に約3万3,000㎡の住宅用地を入手し、「芦原団地」と名付けて造成を進めた。昭和36年度~38年度に計90戸を建設したが、そのすべての分譲が終了したのは昭和39年3月末であった。加えて昭和37年には、田原町谷熊地区の山林・農地約10万5,775㎡を買収している。また、昭和38年12月には、住宅金融公庫の融資を受けて、4,000万円で建設した鉄筋コンクリート造4階建ての複合施設「東田ビル」が完成し、賃貸営業を開始した。一方、昭和33年4月に三河湾国定公園が指定されて以来、渥美半島の観光開発は着々と進められた。渥美半島の一角である堀切地区に、大小5棟のドームに400種に及ぶ熱帯・亜熱帯植物を展示する「渥美フラワーセンター」を愛知県、渥美町との官民一体で開発した。当社は、渥美町から委託を受けて経営することとなり、昭和36年2月3日オープンした。開園後、同センターは各方面の注目を集めた。観光シーズンに入ると観光客が殺到し、滑り出しは良好であった。昭和30年代は自動車販売・整備事業などの自動車関連事業へも進出し、名豊自動車㈱(昭和32年)、豊鉄スバル自動車㈱(昭和33年)、豊橋日野自動車㈱(昭和38年)と次々に関連会社を設立させた。
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