36のどかな奥三河を走る田口線30形電車昭和30年代後半の赤岩口車庫田口鉄道の合併市内線の赤岩口延伸と車両更新当社はかねてより、豊橋市を中心とした総合的な輸送網を確立し、これを動脈として各種観光開発事業を推進することを企図していた。一方で、奥三河地方の中枢的な鉄道である田口鉄道㈱(本長篠-三河田口間22.6km)を合併する話が具体化した。同社は、飯田線統合から取り残されたほか、戦後は地方鉄道補助法が廃止されたため苦境に陥っていた。さらに、自家用車の普及と過疎化現象が、経営に重大な影響を与えていた。このような状況から合併について話し合った結果、当社は、昭和31年10月1日、田口鉄道㈱を吸収合併した。同時に同社の従業員106名も当社に転属させた。この結果、当社は東三河地方における交通事業の大半を、手中に収めることになったのである。豊橋市内では、東部地区の人口増加が顕著となって発展してきたことから、競輪場前-赤岩口間1.2km軌道延長の要望が高まった。そこで昭和32年4月10日、同区間営業(延長)の特許を申請している。その後、特許の下付、工事施工認可、軌道敷設工事を経て、昭和35年6月1日に運転を開始した。同時に赤岩口に車庫を新設し、旧東田車庫線を撤去した。旧車庫は貸切バス車庫として増改築し、12月から使用を開始した。柳生橋支線では、昭和35年12月8日、初めて単車(小型車)によるワンマンカーの運転を開始した。同線の業績があまり伸びない中、東田本線の輸送力増強を図ろうという経営合理化志向に基づくものであった。一方、東田本線では、昭和36年5月、三重交通㈱から初のボギー車(大型車)3両を購入して運行を開始した。
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