豊橋鉄道100年史 1924-2024
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3 鉄道事業の基盤整備35昭和30年頃のボンネットバスと乗務員譲受直後の渥美線1201号ほか4両編成(昭和29年10月)名古屋鉄道から渥美線を譲受年を迎えた。同年7月22日には、社名を豊橋鉄道㈱(以下、当社)に改めた。名古屋鉄道㈱から渥美線を譲り受けて、明日に向かって飛躍を遂げようという決意を込めた社名変更であった。さらに、翌月には資本金4,000万円の増加登記を行い、資本金を8,000万円とした。戦争が終わって約10年、日本の国内情勢は大きく変貌しようとしていた。人やモノの移動はますます活発となり、交通・通信の技術は飛躍的に成長していった。当社も時代に合わせて、従来の交通事業はもちろん、多角的な経営を目指すべく新たな出発を遂げることとなった。当時、名古屋鉄道㈱が経営していた渥美線18.1kmは、豊橋市の郊外線という性格が強い路線であった。そのため、利用者へのサービスを向上させたり、将来的な発展を期待するためには、当社のバスとの調整を考える必要があった。そこで、名古屋鉄道㈱は改めて豊橋市を中心とした交通網の整備を検討した結果、渥美線を当社に譲渡することを決定する。その後、譲渡交渉を経て、昭和29(1954)年10月1日に当社は渥美線の営業権と一切の財産を譲り受けたのである。同時に同線勤務の従業員200名も当社に転属した。なお、渥美線譲受に伴い、昭和30年下期には、721名(本社71、鉄道235、軌道109、自動車306)の従業員となったことで、従来の労働組合を発展的解消して、豊橋鉄道労働組合が正式発足した。

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