豊橋鉄道100年史 1924-2024
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33晩年の初代東田営業所(昭和59年)豊橋交通時代の福江行きボンネットバスバス事業の活況年1月、工事はまず神明町交差点の急曲線改良と付近の線路移設から進めた。豊橋交通㈱になった直後の昭和24年10月、市役所前-前畑間の複線工事に着手し、同年12月には市役所前-赤門前(東八町)間が完成して複線運転を開始した。昭和25年には他の区間でも次々と着工した。同年10月には駅前-神明間の下り線を移設して駅大通での複線工事が完成。11月には東田坂上―競輪場前間の新しい区間が複線で開通し、東田営業所を新築した。その後も工事を着々と進め、全区間の複線化は、昭和27年3月に完了した。これにより、東田本線の輸送効率は格段に向上した。また、先に特許を得て建設中の駅前-市民病院前間延長工事は、同年10月に単線で開通し、同年12月25日複線工事が完成した。バス運輸部門では、合併後新車の導入や修理などによって車両を増備した。同時に、赤岩・三ヶ日・小坂井・新野・根羽線など休止路線の運行再開、西口・二川・日紡線など新路線の運行開始、そして市内循環・白須賀・表浜・豊橋福江直通線(渥美半島直通本線)などの増強が次々と進められた。また昭和25年6月24日には、豊橋・豊川・新城の各駅乗り入れも実現した。バス事業をさらに拡大させるため、昭和24年12月27日には、愛知県内一円を事業区域とする一般貸切バスの免許を得た。昭和25年上期、貸切バス部門に新車を導入して渥美半島観光バスに注力し、ガイドを同乗させるなどサービス向上に努めた。その後も貸切バスを増車して、昭和26年6月30日には、事業区域を静岡・岐阜・三重の3県に拡張する経営免許も取得した。

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