第2章1 戦後の混乱から復興へ30観光客で賑わう昭和37年頃の渥美フラワーセンター空襲で焦土と化した豊橋市札木町付近【豊橋市提供】全線早期復旧へ敗戦による従業員の動揺はあったが、残る被害区間を懸命な努力で順次復旧させて、焦土の街に電車を走らせた。昭和20(1945)年9月20日、東田本線は3カ月で全線復旧開通させたのである。「市内電車が動いている」という事実は、市民の心を支えるとともに、生きる力になったと伝えられている。昭和20年10月に入り、開通不能だった柳生橋支線の神明-柳生橋間復旧を急いだが、資材入手難などから工事ははかどらず、5カ月の日時を費やした。昭和21年2月13日にようやく工事が終了し、全線で復旧した。終戦後、全国の私鉄企業は激増した輸送量の波に乗り、営業収入は増加の一途をたどった。半面、インフレの高進による人件費や物件費の高騰で、営業支出は増加する事業の復興と拡大の時代(昭和20年〜昭和39年)
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