5 空襲の果てに迎えた終戦28空襲に備えて防空演習を行う市民【豊橋市中央図書館所蔵】豊橋大空襲による全線不通終戦豊橋乗合自動車㈱が発足した。名古屋鉄道㈱社長藍川清成が同社社長を兼任し、本社は豊橋市花田町字東郷12番地の2(柳生橋)に置かれた。昭和20(1945)年6月20日未明、戦局が悪化するなか豊橋は大空襲を受ける。来襲した136機のB29から投下された1万5,000発に及ぶ焼夷弾により、豊橋は市街地の大半が焼け野原となった。豊橋電気軌道㈱は電柱や電線路が破壊され、全線の運転が不能となったが、幸い東田車庫と入庫中の全車両は被災を免れた。直ちに自力復旧工事を開始し、取り急ぎ電柱の建て替えと電線路の復旧に全力を傾注した。その結果、7月8日にまず前畑-東田間が復旧、続いて7月17日に旭橋-前畑間が復旧し、約1カ月で同区間の運転を再開した。しかし、7月24日に田原方面が空襲され、電力供給会社の特別高圧線が被害を受けたため、同月28日まで運転休止を余儀なくされた。悲嘆するいとまはなく、予想された本土決戦と国内戦場化に備えて、輸送面の本土決戦態勢を整備することに日夜追われたのである。豊川海軍工廠は、昭和20年8月7日の激しい爆撃で廃虚と化し、2,500名余りの尊い人命が失われた。戦争はいよいよ大詰めに近づいた。8月6日の広島への原子爆弾投下、同月8日のソ連対日宣戦布告、同月9日の長崎への原子爆弾投下などが相次ぎ、日本の進退は
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