27豊橋電気軌道東田本社(昭和9年新築)【名古屋鉄道所蔵】豊橋乗合自動車時代のボンネットバス豊橋乗合自動車設立時の車両・施設車両内訳両数車種薪燃車10木炭車35石炭車9コーライト車5ガソリン車9合 計68車庫・営業所の場所(当時の地名)元タチバナ自動車㈱元名古屋鉄道㈱豊橋市柳生町豊橋市花田町東郷豊橋市小池町田原町東大浜福江町浜田赤羽根村高松中村元東三自動車運輸㈱元豊橋電気軌道㈱大海・下津具・上津具豊橋市東田町東郷川合・本郷・西金越豊橋市東田町東前山田口・佐久間・日開元豊川鉄道㈱元安全自動車㈱豊橋市花田町石塚新城町宮ノ西作手村高里豊川町仁保通太平洋戦争始まるバス事業の統合昭和16年12月8日、日本軍はハワイの真珠湾を攻撃し、米・英両国に宣戦を布告した。日本は緒戦の勝利に酔ったが、それはつかの間のことだった。昭和17年6月のミッドウェー海戦の敗北を機に、戦局は逆転の兆しを見せ始め、昭和18年には敗色が深まるようになった。さまざまな本土防衛策が採られるなか、昭和18年9月に販売店員、出改札係、車掌、など17職種への男子就業禁止が閣議決定された。国内のすべての情勢が戦時色に急迫を告げ始めたこの時期に、豊橋電気軌道㈱は総力を結集して戦時輸送の確保に努めた。一方で、輸入が途絶えた潤滑油を補うため、ひま(トウゴマ)の栽培が義務付けられた豊橋電気軌道㈱は、昭和18年4月25日に農地開発営団から宝飯郡一宮の畑地4反を受託し、栽培に協力した。ガソリンの全面的な使用禁止は、バス事業の大規模な再編成や整理統合に拍車をかけた。昭和17年8月、バス事業を統合一元化するという鉄道省の方針が正式決定された。これに基づき、豊橋電気軌道㈱のほか名古屋鉄道㈱、名鉄自動車㈱、豊川鉄道㈱、タチバナ自動車㈱、東三自動車運輸㈱、安全自動車㈱、遠三自動車㈱、8社の代表者が発起人となり、資本金70万円で豊橋乗合自動車㈱を設立することになった。昭和18年9月14日付で、各社は旅客自動車運輸事業譲渡の許可を受け、会社設立が許可されたのである。同年11月1日の登記完了をもって、東三河地方8社のバス事業部門(名古屋鉄道㈱は渥美線のバス事業)を合弁した
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