4 戦時下の苦闘と統合26代用燃料車両昭和13年頃の名鉄東部線電車【名古屋鉄道所蔵】戦時体制の始まり名古屋鉄道系列への相互乗り入れ契約も取り交わした。戦時経済統制の強化により、昭和13(1938)年を境に交通企業の姿が変わり始めていた。鉄道省は、やむをえざる場合以外、新規自動車運送事業計画や増車計画を不認可とする方針を明示し、ガソリンは切符制となった。一方、規制による自動車輸送力への影響を最小限に食いとめるため、代用燃料装置への転換を指導するようになった。豊橋電気軌道㈱では、同年8月9日の取締役会でガソリン節約の国策に順応し、使用中のバス2台をガソリン併用の木炭バスに改造することを決定した。その後も時局に対処するため代用燃料車を増やしていった。鉄道・内務両省による時局に合った交通行政に向けて統制と調整を行うため、昭和13年4月に陸上交通事業調整法が公布された(8月1日施行)。名古屋鉄道㈱は、この年に当局の方針に沿って、中部地方の私鉄およびバス事業の統合促進にあたった。東三河地方では、渥美電鉄㈱、豊川鉄道㈱の株式を相当数取得するとともに、名古屋鉄道㈱の社長が、両社の社長を兼任するようになった。豊川鉄道㈱の子会社である鳳来寺鉄道㈱と田口鉄道㈱も同時に傘下に入った。そして同年には豊橋電気軌道㈱にも資本参加を行い、これにより名古屋鉄道㈱の系列下に入った。翌年9月11日には、豊橋電気軌道㈱の相談役で名古屋鉄道㈱社長の藍川清成が、第4代社長に就任した。
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