豊橋鉄道100年史 1924-2024
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25豊橋電気軌道バス【名古屋鉄道所蔵】竣工した豊橋電気軌道バス東田車庫【名古屋鉄道所蔵】バス事業への注力美電鉄㈱は、昭和8年に並行運転する豊橋自動車㈱を系列下に置いた。これを機に、各社の所有株式を整理することとなり、3社間での株式交換交渉が始まった。その結果、昭和8年11月に豊橋電気軌道㈱は、豊橋自動車㈱の株式500株を渥美電鉄㈱に譲渡するとともに、豊橋自動車㈱が所有する豊橋循環自動車㈱の株式700株と交換するという覚書を交わした。この株式交換協定の成立によって、豊橋電気軌道㈱は競争路線を持つ豊橋循環自動車㈱を系列下に収めることになった。こうして、創立10周年の記念すべき年には、豊橋電気軌道㈱は豊橋市内の交通機関を掌握し、経営の基礎を固めたのである。その後、時代は戦争へとひた走る情勢となった。豊橋電気軌道㈱は、交通統合の時流に沿って積極経営を展開するために、傘下に収めていた豊橋循環自動車㈱の営業権一切を譲り受けた。バス事業を開始したのは、鉄道省に提出した自動車運輸事業承継届と、名古屋鉄道局に提出した自動車営業願が認可された昭和10年7月12日であった。豊橋電気軌道㈱は、バス事業開始により豊橋循環自動車㈱時代の路線を変更するとともに、次々と新たな路線の認可を取得した。また、昭和10年7月の取締役会で、乗合自動車3台の購入や、自動車車庫の新設、ガソリン地下タンクの新設などを決議するなど、もっぱらバス事業の充実に注力した。特に前芝海水浴客と赤岩山納涼客の誘致に努力した。翌11年には、電車・バス共通の「赤岩山お花見往復乗車券」を発売し、好評を得た。同年12月には三谷自動車㈱との間で、豊橋駅前-前芝-御油海岸に至るバス路線

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