豊橋鉄道100年史 1924-2024
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3 バス事業へ進出24バス事業の前身となった豊橋循環自動車㈱は東田停留場前にあり電車と競合したバス事業進出計画バス事業を開始昭和3(1928)年、豊橋市起点のバス路線は、3月に運行を開始した豊橋自動車㈱の市内循環線など、7会社10路線が運行されるようになっていた。バス網はさらに延びることが予想された。同年、豊橋電気軌道㈱の首脳は、豊橋市都市計画道路網の決定発表に基づく、路面電車の循環線敷設計画を一歩前進させた。一方でバス時代に備えて、バス運輸営業に進出する計画も立てた。これは、路面電車が単線で輸送効率が悪いため、能率的なバスによって路面電車を補完し、経営の安定化を図るという意図であった。しかし、バス運輸営業計画はその後、競願などの事情が絡み滞っていたが、昭和6年6月18日、続く経営危機打開のため、路面電車と同一路面で、豊橋駅前-東田間、豊橋駅前-高師間のバス運輸営業認可を申請したのである。なお、豊橋自動車㈱は、すでに上記2路線の市内バスを運行していたが、路面電車の補助交通機関としての機能を発揮するため、昭和4年6月に乗合自動車部を分離し、豊橋循環自動車㈱を設立した。当時、豊橋電気軌道㈱と渥美電鉄㈱・豊橋自動車㈱の3社は、豊橋循環自動車㈱をめぐって複雑な資本関係にあった。同社の親会社は豊橋自動車㈱で、豊橋電気軌道㈱は豊橋自動車㈱の不振を立て直した経過から、豊橋自動車㈱の株式を一部所有していた。そのようななかで渥

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