豊橋鉄道100年史 1924-2024
22/202

22大正12年3月23日付特許状第1回事業報告書抜粋(大正13年3月17日-9月30日)豊橋電気軌道の誕生ところが他社も軌道敷設を計画し、前後して特許を申請した。競争者が出現することになったが、川口彦治愛知県知事のあっせんにより、競争者のうち3名を武田賢治側の発起人に加えることで話がまとまり、同年12月23日に改めて発起人10名により、特許状下付を申請した。軌道敷設の特許状が下付されたのは、大正12年3月23日だったが、この頃は軍備縮小・公債縮減などで、経済界が混乱したため、武田らの会社設立事務は進展しなかった。さらに、同年9月1日には関東大震災が発生、その影響から一時は計画中止の危機に陥った。しかし、その後にようやく苦境を脱し、追加発起人が得られたため、大正12年12月8日、第1回発起人会開催にたどりついた。発起人32名による発起人会では、資本金50万円、株数1万株、うち発起人引受株数5,000株、残株は5株単位で市民から募集することなどを決議した。併せて新会社の名称を豊橋電気軌道㈱に決定した。大正13年3月17日、豊橋商業会議所で創立総会が開催された。役員選出と本社社屋を豊橋市大字本29番地に置くことなどが満場一致で承認可決され、同日の取締役会で初代社長に武田賢治を選任した。これにより、ようやく豊橋電気軌道㈱が誕生し、この日を創立記念日に定めたのである。3月22日には、鉄道・内務両大臣に会社成立届を提出するとともに、境橋線・東田支線(豊橋駅前-新停車場通り-柳生橋および東八町八幡神社前)、東田支線(東八町-東田終点)、大橋線(西宿大野銀行角-豊川大橋)の工事施工認可を申請した。次いで、それらに伴う各種の認可申請を完了するなど、急ピッチで準備を進めた。なお、会社設立登記は、5月26日に完了した。

元のページ  ../index.html#22

このブックを見る