豊橋鉄道100年史 1924-2024
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2 路面電車開通21豊橋駅前の渥美電鉄1001号、渥美電鉄は昭和2年に豊橋駅前へ乗り入れた【絵葉書】地域交通の誕生当初の計画各種部隊の配置により人口が増え、市内主要道路網の整備・開設や、豊橋駅の拡張といった公共事業が活況を呈した。明治30年代、この地域の鉄道は東海道線のほか、明治33年に吉田(豊橋)-大海(のち長篠)間27.9㎞が全線開通した豊川鉄道㈱のみであった。大正時代に入ると鳳来寺鉄道㈱によりこの路線が延びることとなり、大正12年に長篠-三河川合間が開通した。この頃、渥美半島に電気鉄道敷設の機会がようやく訪れ、大正11年3月6日に渥美電鉄㈱が誕生した。高師-豊島間が開通したのは、大正13年1月22日であった。その他の地域交通としては、明治41年10月に設立した豊橋馬車㈱が豊橋-牟呂間の定期乗合馬車を運行していたが、大正4年になると、旧・豊橋自動車㈱が豊橋-田原間のバス営業を始めるなど、自動車の出現によりバス会社の設立が相次いだ。路面電車の敷設計画は、これまでに2回も特許を受けていたが、会社設立は不成功に終わっていた。大正10(1921)年11月9日、豊橋電気㈱(豊橋電燈㈱の後身)で専務取締役を務める武田賢治が発起人総代となり、ほか6名の発起人とともに自動車鉄道での特許を申請した。その後、政府が豊橋市内交通機関の動力に電気を用いることを決定していたため、発起人たちは自動車鉄道敷設計画を電気鉄道に変更して申請し直している。

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