豊橋鉄道100年史 1924-2024
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162駅前大正14年開業時に設置、当時の線路は豊橋駅正面から北東側の広小路通へ伸びていた。昭和44年豊橋駅改築工事に伴い新川方へ移動したが、平成10年2月に豊橋駅総合開発事業により現在の場所になった。駅前大通平成17年3月、中心市街地の活性化を図るため新設。当場所付近には昭和44年まで名豊ビル前停留所があった。平成24年から軌道敷内に芝生を植栽している。新川昭和25年の広小路通から駅大通への複線化移設により新設。東田本線と柳生橋支線(昭和51年廃止)との分岐点は神明から当停留場に移った。札木大正14年7月14日の開業時に大手通の札木交差点に設置。昭和26年の複線化移設により現在の場所になった。平成20年バリアフリー化工事完成。市役所前大正14年7月21日の札木~赤門間延伸時に営門前として設置。昭和24年から現在の停留場名となった。平成20年バリアフリー化工事完成。豊橋公園前営門前(市役所前)と同じく大正14年7月21日に錬兵場前として設置。平成8年から現在の停留場名となった。平成20年バリアフリー化工事完成。東八町大正14年7月21日の延伸時に赤門として設置。昭和24~26年の複線化工事によって現在の場所になった。前畑大正14年12月25日の赤門~東田間延伸により設置。平成30年バリアフリー化工事完成。東田坂上前畑と同じく大正14年12月25日に設置。東田への旧路線は当停留場から南東側の東雲通を走っていた。東田昭和25年に競輪場前まで新線を複線延伸し、当停留場も移設した。当線内で、唯一残る路面からの乗降停留場。競輪場前昭和25年の新線への移設延伸により設置。同時に市内線東田営業所が開設された。平成19年に上り線の一部を撤去して、上下線兼用のバリアフリー安全島が完成した。井原昭和35年の競輪場前~赤岩口間延伸により設置。昭和57年には当停留場から分技して運動公園前まで延伸した。分岐にあたり交差点内はR11(曲線半径11m)の急曲線となった。赤岩口昭和35年の競輪場前~赤岩口間延伸により設置。同時に車庫が新設され、旧東田車庫と車庫線を廃止した。当停留場から豊鉄バス飯村岩崎線が接続している。運動公園前豊橋市民球場開場によって想定される多客輸送と発展する岩田地区の利便のため、昭和57年7月31日井原から当停留場まで延伸。平成20年バリアフリー化工事完成。市内線停留場

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