豊橋鉄道100年史 1924-2024
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■ 総務部 副長(保健師) 赤川景子豊橋鉄道年記念座談会100周123八木 100年前は車がなく、乗合交通の主役は路面電車だったんですよね。でも、現代は車社会になってしまいました。そう考えると次の100年は想像さえできません。森下 もしかすると会社の創業時も100年後までは考えておらず、取りあえず公共交通が必要だ浦部 私も100年という歳月は結果の一端であって、その根幹は公共交通を支えてきたことにあると思うんです。また、地域のニーズに応えながら、価値を提供し続けてきた結果、地域の信頼を得て今に至っていると思うんです。赤川 同感です。入社前から当社グループは、地域のニーズにものすごく真剣に向き合っていると感じていました。例えば豊鉄バスの二川線は、もともと他社が運行していました。廃止が決まったときに当社のバス部門が、おそらく厳しい状況のなかで運行を引き継ぎ、地域の交通を守ったんですよね。移動に対する地域の不安をしっかりと感じ取り、提供し続けるのはすごく大切なことだと思います。浦部 他の地域から来られたお客様から「渥美線は中小私鉄なのに、1時間に4本も走っている。これは結構大事ですね」とよく言われます。少子高齢化や人口減少が進むなかでも本数があることで、お客様に便利だと思われて利用されるのが理想ですから、便利さを維持していく必要があると思っています。河合 駅から自宅までのラストワンマイルを支えることも大切ですよね。そういった面を含め、ソフト面でもハード面でもすべての移動をシームレスにつなぐことができたら、移動手段に制約のある方たちにも、もっとやさしい、地域に根付いた公共交通を担う会社になれると思います。社。渥美線の車掌から、運転士、幹事駅助役などを経験。現在は当社鉄道部で運輸管理をはじめ、企画電車の計画実施や、路面電車の運転体験などを担当。循環器専門病院の看護師から、行政の介護予防業務や結核業務、大手製造業での健康管理業務、その他特定保健指導や地域包括支援センターなどを経験。その後、企業の健康管理に関わりたいと思い、平成24年6月に入社。現在は当社総務部で健康経営や労災事務などの健康管理全般を担当。――皆さんの入社動機や主な経歴が共有できましたので、最初の話題に入ります。これまで会社が100年間にわたって担ってきた地域の移動を支えるという使命を、今後も守り続けるために必要なことをお聞かせください。地域の移動を守り続けるために、 当社に必要なことったからつくった。その後はその時々に対応しながら考えぬいて、生き残ってきた。その結果が100周年なのかもしれません。

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